
一生懸命に介護していた妻や長男に対し、JR東海という大企業が損害賠償を請求したことで、社会的にも注目されました。最高裁では遺族の責任は全て否定され、安堵した人も多かったのではないでしょうか? 議論を呼んだ事案の経過を振り返ってみましょう。
1 事故の発生


この事故により、JR東海は、上下20本ほどの列車に遅れが生じ、振替輸送費や人件費などの損害を負い、約720万円を妻と長男に請求して訴訟を提起しました。
2 最高裁判決に至る経過
第1審の名古屋地方裁判所は、平成25年8月9日に、妻と長男の責任を認め、JR東海が全面勝訴しました。これに対し、多くの世論が反発しました。高齢者のみの世帯が多く、「老々介護」などと言われる昨今の現状があり、妻も85歳で、要介護1という認定も受けていました。その妻が責任を負わせられるなら、とにかく外出しないように拘束するか、施設に預けるしかなくなってしまう。
また、長男も父であるAさんのために普通に考えられる以上のことをしているのに、親孝行をすればするほど、責任を負わせられるのは不合理だ、など、大きなニュースとなりました。

まず、長男の責任はない、としました。 妻の責任は1審同様認めました。出入り口には、Aさんが一人で出ていけば分かるようにセンサーが取り付けられていましたが、その電源が切られていたことを根拠としています。妻は、Aさんが一人で外出してしまって迷ってしまうことがあることを知っていたのだから、センサーを作動させておくという簡単なことをしておけば良かったのだということでした。ただ、損害額は半額に減額しました。
しかし、この判決に対しても、センサーを作動させるとその音にAさん自身がイライラと不穏になってしまうことがよくあったり、また、猫 などが通っても鳴ってしまうため、家族の心労の基になってしまうという介護の実態をみていないものでした。高齢の妻に責任を負わせたこ とから、批判が続きました。
注目の中で、平成28年3月1日に出された最高裁判所の判決は、妻の責任も長男の責任も否定され、JR東海の敗訴に終わりました。
結論として、おおむね妥当な判決と受け止められています。
3 残された課題

認知症などで判断能力が失われた人が起こした事故について、誰がどのような責任を負うのか、という問題があるからです。従来の法律の考えでは、事故を起こした人自身が、その事故の責任を負えない場合、その人を監督している人が責任を負う、とされていました。
民法714条の責任無能力者の監督義務者の責任と言います。
このケースのAさんは、認知症にり患して自分がどこにいるのか、線路に降りていいのかなどの判断ができなかったと認定されています。つまり、結果としては列車に衝突すると言う痛ましい事故を起こしていますが、自身はそれを回避することもできない精神状況だったのであり、こうした場合、Aさん自身は責任を負いません。(責任無能力者と言います)
そして、Aさんを監督していた人(監督義務者と言います)が代わって責任を負うのです。これまで、監督義務者の代表とされていたのが、親権者と成年後見人です。
こうした法学の伝統的考え方をあてはめると、同居していた妻は、Aさんの日常の世話をし、身の回り全般に気を配っており、長男も、自身は別居していると言っても、自分の妻を近所に住まわせてAさんの世話を行わせ、他の家族とも相談しながら、介護サービスについて検討するなどしていたのですから、監督義務者としてその責任が認められる余地は大いにあったと言えます。つまり1審の名古屋地裁の判決は、従来の考え方を素直に適用した判決と言えるものです。世論が大きく反発したのには裁判官がびっくりしたのではないかと思えます。


しかし、ちょっと視点を変えてみましょう。今回は、損害を被った被害者がJR東海という大企業でした。しかし、例えば、Aさんが入っていったのが、小さな町工場で、その工場の大切な機械を傷つけて、大きな損害を与えてしまったとしたらどうでしょうか?
こうした場合でも、認知症の人本人は責任を負う能力が無いから責任を負わない、というのが現在の民法の考え方です。そして、家族も誰も責任を負わないということになれば、被害を受けた町工場は救われないということになります。
この場合の責任をどう考えていくのかは、残された課題です。今回の最高裁の判決も、日常生活での関わり方によっては、家族が「監督義 務者に準じる立場」として責任を負う場合もあるとして、生活状況や介護の実態などを総合的に考慮して判断すべきとしています。諸外国では、責任無能力者であっても、本人自身が責任を負うという法制度もあります。
認知症などの病気や障がいは、大きな課題です。いろいろな人がいるという多様性は、社会を強くしてくれる土台でもあります。裁判官だけでなく、社会全体で考えていくことが求められています。
